音楽からはじまる。

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森山直太朗と秦基博にみた、音楽の早期教育の必要性

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今日のテーマは私にとっては耳の痛い話でもあるのですが、音楽の早期教育の話を書こうと思います。

早期教育の必要性

音楽教育家である、コダーイ、ダルクローズ、オルフらは揃って「幼少期からの音楽教育が必要である」と述べています。確かに日本でも桐朋学園子どものための音楽教室を始め、鈴木メソッドなども幼少期からのカリキュラムが組まれています。でも、親御さんからすれば、「将来、本当に音楽で生計が立てられるのだろうか?」「どのくらいの才能があるのか?」なんてことはその時期にはわからず、たとえ、ある程度の力が備わっていたとしても本人が音楽を専門的に学びたくない、と言い出す可能性もあるわけです。そして最近は不景気であることも手伝ってか、幼少から音楽の専門教育を受けている子どもたちが少ないように思えます。

現在の音大進学の現状

私は今、高校と音楽教室ソルフェージュクラスを担当しています。どちらも音大進学者のためのクラスです。そこで最近多いのが、「進路を考え始めてから音大に行きたくなった」という子たちです。実は私もそうした経緯で今に至るので人のことは言えたものではないのですが、経験を踏まえて言うと、「突然音楽の世界に入る」というのはなかなか大変です。はじめは「がんばるぞ!」と意気込んでいますが、次第に音楽体験が少ないことが壁となってきます。

専攻実技は、何より専門教育を受けていないため、受験のために付け焼き刃的に受験課題曲を仕上げることになります。そうなると、もし合格できても入学後の課題もすべて「演奏する身体」になっていないのでとても苦戦している姿も目にします。

ソルフェージュでは、音感、調性感が身についていないとお手上げです。中には専門教育ではなくても、音感がある子もいるので(有名な曲のコピーとコード付けができるよ!なんていう子は音は取れる)、そうした場合にはなんとか受験のためのGOサインを出しますが、音も取れない、演奏する身体にもなっていない、となると、ちょっと難しいかなと思うのです。

音楽学なら…?と思う方もいるでしょう。音楽の知識を蓄え、論じられればいいのです。しかし、中には「音楽が好き」くらいの気持ちだと音楽文化がどのように誕生し、発達・発展していったのか?ということに目を向けることがなかなか難しかったりします。例えば英文で「compose」と出てきたとき「構成する」と訳すべきか、「作曲した」と訳すべきかの判断が文章の前後から読み取れないといけない。つまり音楽に関する知識の土台をしっかり作っておかなくてはいけないのです。また、学部入試であれば実技試験が課されますので、上記のことも必要となります(音楽学部に限る)。

この記事を書いたきっかけ

昨年末、某音楽番組で森山直太朗秦基博がコラボレーションしていました。私はどちらの歌手も好きなので楽しみにして聞いていました。しかし、交互に歌うことで、森山直太朗早期教育の力が露呈されます。

歌い始めた瞬間から、フレーズの作り方が自然と身についている。そんな風に感じました。秦基博だって曲は素晴らしいし、調子が良ければ歌も上手い。でも森山直太朗のフレーズ、音楽の運ばせ方、それにはまさに幼少期から音楽にあふれた世界で過ごして来た人なのだな、と思わされました。

昔なら、専門教育を受けている子が音大受験することが当たり前でした。しかし。様々な学科、専攻ができて、間口が広がったこともあります。また音大自体の経済状況も影響しています。ただ私たちは卒業後も「音大に行ってよかった」と思ってもらえるような、進路指導が求められてられていますし、音楽を演奏する基礎教育の大切さを提唱し、本当に素晴らしい演奏を聞き分ける力を身につける必要性が求められているといえます。

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