音楽からはじまる。

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ラフマニノフ「プレリュード」における作品へのアプローチ

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教育機関での仕事が多くなったこと、また作業としては論文や執筆の方が中心になってきている。しかし、実はまだピアノ教師を細々と続けている。習いに来てくれる子が途切れない限り、続けていきたいとも思っている。幸いなことに発表会での「講師演奏」というタスクも用意されているので「ピアノ離れ」せずに済む。

そこで気がついたのは、かつての学生時代に意識していたピアノを弾くときの「難易度」みたいなものを気にしなくなっていた。自分にどれだけの技量があるのか?作品にどれだけ魅了されたか?演奏する場所や目的に即しているのか?そうした視点を中心に選んでいたことに気づいたのだ。今となれば「難易度」なんてものにこだわるのはナンセンスだとも思う。こうした背景には、どんな曲だって音楽的に演奏するには難儀である、ということをわかってしまったから気にしなくなったのだろう、とも思う。

今回、ラフマニノフのプレリュードから2曲を選曲した。しかし久しぶりにラフマニノフを弾くにあたって、やはり少しは作品について様々な分析や見解を知っておきたい、と思ったので検索をかけたら「難易度」というワードが上位にされており、「〇番が一番難しい」とか、レベルをいくつかに分けて各作品番号が羅列されている、といったものが多く掲載されていた。少し調べた程度なのであまり声高に言うこともできないが、あまりにもこうしたものが多くてがっかりした。演奏機会が多いこの作品に対して、あまり研究が進んでいないのだなと思った。

紀要ではあるが、「ラフマニノフのプレリュードは全曲通しての演奏する価値に値するか?」といった内容を検討するために、バッハの平均律1,2巻に続いて、それに関連して書かれたショパンのプレリュード、スクリャービン、そしてショスタコーヴィチ前奏曲とフーガの調性に関する比較と、ラフマニノフの各曲を分析したもの*1があった。この論考において「通奏すべき」という結論が導きだされていた。しかしこの論文においては、レファレンスも少なく、ラフマニノフの作品性を完全に分析しているというには、もう少し説得力となる論拠が欲しいところである。紀要だから仕方ない、と言われてしまえばそれまでだけど、もう少し踏み込んだ分析・研究が必要なのではないかという思いが残った。

演奏するにあたって、この作品は演奏機会が多い方の作品であるにもかかわらず、研究や分析が少ないイメージが強い。ラフマニノフ、というと第2番のコンチェルトが有名であるが、それも手伝っているのか、「テクニック」「難易度」といったワードが踊りやすいのかもしれない。

私はこの作品に関して、通奏することに価値が高く置かれるのか、または抜粋でも可能であるかについて、まだ結論が出ていないと考えている。加えて、今回は抜粋で弾くのだけれども、そのためにも作品に関してもう少し多角的な知識を多く得ておきたかった。

私自身の中でのこの作品の解釈は、ラフマニノフの母国「ロシア」の国民性をこのプレリュードに託し、その統一性を持たせるためにあえて、西洋音楽における「全調性」を与えたのだと考えている。私もこれに対しては参考資料が格段に少ないことから定義づけるには至らないが、今回はやむなし。これを定義として演奏に向かおうと思っている。

*1:土田定克(2014)「ラフマニノフの『24の前奏曲』の独自性とその指向性」尚絅学院大学紀要第67号pp.25~39

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