音楽からはじまる。

聴いておきたい音楽・読んでおきたい文献メモ。

【大人大学院受験②】私流小論文対策

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前回から始めてみました【大人大学院】シリーズ(勝手に命名してみました)。本日は小論文を始めて書いてみた話です。前回の記事はこちら。

ll1405ll.hatenablog.com

はじめての小論文

入試で課せられる「小論文」と「論述試験」。私は経験したことないのですが、いまや小学生でも中学生でも書いているとか。私は大人になるまで小論文なんてものは書いたこともありませんでした。そして大学受験の際ももちろん必要なく、そのまま「小論文を書かないまま大人になった」のです。

はじめて論文のご指導をお願いした先生に伺う前、「過去問のどの年度でもいいから書いてみたものを持ってきて」といわれたので、とりあえずこわごわ書いてみました。どう書いたらいいのか?そんな疑問さえ持たずに、どんどん書き進めていき、結局尻つぼみなヘンテコな文章を持っていきました。

小論文対策本は買うべき?

小論文の書き方についてですが、論の立て方、文章の構造など、さまざまなノウハウを先生にご指導いただいたおかげで、私は市販されている小論文対策のような本は一切買わずに受験しました。これは音楽領域だからなのかどうかはわかりませんが、私は購入しませんでした。しかし、結果として合格できたのですからこれでよかった!と思っています。

ただ、小論文を書くためには基本的な知識を蓄積しなくては書けません。ですので、文献はたくさん読みました。通勤電車の中などでも読んでいました。私が読んだ主なものは以下のものです。

一冊目は「音楽を聴きとる力、また、音楽を鑑賞すること」がテーマに含まれていたからです。二冊目は私がソルフェージュ系の教育を目指していたこともかかわっています。

論述試験に関しては以下のものを読みました。

この理由は単純。過去の論述問題に音楽心理学が含まれていたので、とにかくこれを読み倒しました。残念ながら、その年度は出題はされませんでした…。

本当に力になったこと

しかし、論述問題に関しては、ワードをGoogleScholarなどで検索して、pdf化されている論文を読むのが一番だと思います。今でもそのコピーは残っていますし、手に入らないものは国立国会図書館に行ってコピーをとってもらえば読むことができます。やはり修士に入るには、自分の研究テーマだけでなく、音楽(専門分野)全般に関しての知識がないと論述試験も答えられないことももちろんのこと、合格したとしてもそのあとのゼミでもとても困りますから、読んでおくべき論文(それは論述問題のワードに関連していると思います)を片っ端から読みまくり、それに関する論述ができるようにアウトプットしていくことは、本当に力になります。

というわけで、この件については、またまとめの時に詳細を書こうと思います。

次回は英文和訳対策です。私にとっての一番の壁でした。

【大人大学院受験①】専門職を失ったので受験に踏み切る。

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ここでは音楽を中心に芸術全般のことを書くことを目的に立ち上げましたが、近年では大学院進学者、特に社会人になってからの進学者が増えています。ネットでもこうした情報が増えてきました。しかし「音楽分野で大学院に受験する」というのは、案外、インターネットの大学院入試(研究)情報だけでは、他分野と違ったことが多かったので、あえて音楽系大学院の進学について、私の経験したことしか書けませんが、それを何回かに分けて書いていこうと思います。本当に微力ですが、これから受験を考えているための方に向けて書いてみようと思っています。一回目は「きっかけ」です。

私の大学院受験のきっかけは特に、研究テーマを持っていたわけでもなく、大学院に進学したいといった気持ちをずっと持っていたわけでもなかったのです。しかもネットで「大学院受験」などで調べれば高額な塾のサイトが出てきたりするので、「とてもじゃないけど払えない」と思っていました。しかし、こうしたことを無意識に調べていたというのは、今思えば、進学したい気持ちは密かに持っていたのかもしれません。

あまり詳しく書くと別のコラムサイトでも書いたネタなので、あえてぼかして書きますが、教育の職を辞め、個人のレッスンの生徒がなぜか激減してしまったときがありました。本当に仕方のないタイミングで、私は音楽の職を失いました。私はその時、精神的にかなり参っていたので、それに加えて職を失うというのは本当にツライことでした。

ピアノ生徒さんの募集をかけましたが、そんなに一気に増えることはありません。そこで最終手段だと思っていた学校教育に戻ろうとします。そこで直面したのが「専修免許取得者」*1という条件。中・高校でも求められてきていることとは想像もしませんでした*2私の学部卒の頃は、進学校でも第1種免許でOKでしたから。時代はもう、大学院卒じゃないと採用してくれないのか…なんて今思えば狭い視野ですが、先が全く見えなってしまった気分でした。でも「だったら、大学院を受けてみようかな」と思ったのです。かなり安直な考えですが、今思えばこんなちょっとしたタイミングがそうさせました。

学部生の頃は「大学院は、演奏がうまい人が進学するためのもの」だと思っていました。しかし、大人になればそうではない、今までの経験も生かすことも武器になる。そこで私は音楽と教育に関連した分野での進学が必要だと思いました。そうした大学院の要項を見れば「小論文」「論述試験」が課せられることを知ります。実は前述した「辞めた生徒さん」の中に、「論文で入れる学科に変えるのでやめます」といって去っていった子の論文の先生のことを思い出しました。実はその先生、私のピアノの先生にお願いして探していただいた先生でした。そこで私はその論文をご指導してくれる先生の門を叩くのです。

この頃の私は、大学院受験に対してまるで理解できていませんでした。まずはとにかく音楽の仕事に戻るには、受験だ、と。高校も大学も演奏で卒業してきた私。英語が全くできない。小論文ってなんだろう?そんな受験の始まりでした。それは「貧乏」という大きな壁もともに待っているとも知らずに始まったのでした。

次は「初めて小論文を書いてみた」ということに焦点を当てようと思います。

 

*1:教員専修免許状取得には大学院修士課程(または前期博士課程)修了であることが条件

*2:他の私立校や公立教員採用試験は第一種免許で受験も採用も可能2017年5月現在

ラフマニノフ「プレリュード」における作品へのアプローチ

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教育機関での仕事が多くなったこと、また作業としては論文や執筆の方が中心になってきている。しかし、実はまだピアノ教師を細々と続けている。習いに来てくれる子が途切れない限り、続けていきたいとも思っている。幸いなことに発表会での「講師演奏」というタスクも用意されているので「ピアノ離れ」せずに済む。

そこで気がついたのは、かつての学生時代に意識していたピアノを弾くときの「難易度」みたいなものを気にしなくなっていた。自分にどれだけの技量があるのか?作品にどれだけ魅了されたか?演奏する場所や目的に即しているのか?そうした視点を中心に選んでいたことに気づいたのだ。今となれば「難易度」なんてものにこだわるのはナンセンスだとも思う。こうした背景には、どんな曲だって音楽的に演奏するには難儀である、ということをわかってしまったから気にしなくなったのだろう、とも思う。

今回、ラフマニノフのプレリュードから2曲を選曲した。しかし久しぶりにラフマニノフを弾くにあたって、やはり少しは作品について様々な分析や見解を知っておきたい、と思ったので検索をかけたら「難易度」というワードが上位にされており、「〇番が一番難しい」とか、レベルをいくつかに分けて各作品番号が羅列されている、といったものが多く掲載されていた。少し調べた程度なのであまり声高に言うこともできないが、あまりにもこうしたものが多くてがっかりした。演奏機会が多いこの作品に対して、あまり研究が進んでいないのだなと思った。

紀要ではあるが、「ラフマニノフのプレリュードは全曲通しての演奏する価値に値するか?」といった内容を検討するために、バッハの平均律1,2巻に続いて、それに関連して書かれたショパンのプレリュード、スクリャービン、そしてショスタコーヴィチ前奏曲とフーガの調性に関する比較と、ラフマニノフの各曲を分析したもの*1があった。この論考において「通奏すべき」という結論が導きだされていた。しかしこの論文においては、レファレンスも少なく、ラフマニノフの作品性を完全に分析しているというには、もう少し説得力となる論拠が欲しいところである。紀要だから仕方ない、と言われてしまえばそれまでだけど、もう少し踏み込んだ分析・研究が必要なのではないかという思いが残った。

演奏するにあたって、この作品は演奏機会が多い方の作品であるにもかかわらず、研究や分析が少ないイメージが強い。ラフマニノフ、というと第2番のコンチェルトが有名であるが、それも手伝っているのか、「テクニック」「難易度」といったワードが踊りやすいのかもしれない。

私はこの作品に関して、通奏することに価値が高く置かれるのか、または抜粋でも可能であるかについて、まだ結論が出ていないと考えている。加えて、今回は抜粋で弾くのだけれども、そのためにも作品に関してもう少し多角的な知識を多く得ておきたかった。

私自身の中でのこの作品の解釈は、ラフマニノフの母国「ロシア」の国民性をこのプレリュードに託し、その統一性を持たせるためにあえて、西洋音楽における「全調性」を与えたのだと考えている。私もこれに対しては参考資料が格段に少ないことから定義づけるには至らないが、今回はやむなし。これを定義として演奏に向かおうと思っている。

*1:土田定克(2014)「ラフマニノフの『24の前奏曲』の独自性とその指向性」尚絅学院大学紀要第67号pp.25~39

芸術の鑑賞ー「又吉直樹、旅するロシア」よりー

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数日前、日本テレビで「又吉直樹、旅するロシア」という番組が放送されていた。

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芸人でありながら、作家である彼は、芥川賞受賞後に「芥川龍之介への手紙*1」というエッセイを綴っていた。私はそのエッセイを読んだときに、芸術の鑑賞方法について深く考えさせられた。それについての詳細はまた後日改めて書きたいと思うのだけど、その頃から多様な「芸術鑑賞」についてとても興味がわいた。

あくまでも今回の対象は美術作品であるのだけど、とても興味深かったのは、彼の「芸術は作り手と鑑賞する側の共同作業である」という言葉。そしてこう続ける。「もしその作品から何も感じられないときは、まず自分に責任を置く」としている。楽しむセンスが自分にはないのだ、と。しかし、解説を聞いたとたんに突然面白さが増す、とも発言していた。

私は、彼の言う一連の鑑賞作業。音楽と類似しているな、と感じました。その作品の良さとはなんなのか?まさに解釈コードは様々だからこそ面白さもあるけれど、作品を理解しよう、受け入れよう、とする姿勢は絶対に必要なのだと思うのです。

私はかつて、ポップスは聞くくせに、クラシック作品の中でも「乙女の祈り」とか、「人形の夢と目覚め」などは、弾くことも、生徒にひかせることもあまり好みませんでした。しかし「ピアノの弾く楽しみを味わいたい」という気持ちを満たすうえでは、以上にあげた作品も優れているのかもしれません。

まさに「作り手と鑑賞する側の共同作業」の中に「演奏者」が音楽はいるわけですが、この番組を通して、多角的に芸術作品を鑑賞し、解釈していくことが私たちには求められているのかもしれない、と改めて思わされました。

音楽の価値、芸術の価値を語ることは、とても難しいです。しかし、私の一番興味が高いところでもあります。また後日改めてこのテーマについては考えていきたいと思っています。

*1:文學界』2015年9月号第69巻第9号pp.12‐17.

シフのベートーヴェン・ピアノソナタ

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※Tower record on-lineHPより引用

実は、私にとって「音楽の道を志すきっかけ」というのはあまり覚えがなく、幼少から特別な専門教育も受けていたわけはありませんでした。しかし、中学生の時に受けた、のちに母校となる学校の音楽講習会を受けたことが、本当にその道に進むんだという決定打、となったといえます。

当時、母校のピアノ専攻入試では3曲の課題曲が課せられていました。その中に、毎年ベートーヴェンピアノソナタが指定されていました。ですので、講習会ではピアノ専攻志望者はみんなが揃ってベートーヴェンソナタを持ってきていました。

それまで多くの音楽に触れていたなかった私にとっては、ベートーヴェンピアノソナタに魅了されました。こんな美しい音楽があったのか、と。実はバッハにも同じ思いを抱くのですが、まず本日はベートーヴェンソナタを取り上げたいと思います。(バッハはまた後日に!)

そして、アシュケナージピアノソナタ全集のCDを親に買ってもらい、試験曲になりそうもない後期のソナタまで楽譜と照らし合わせながらずっと聴いていました。まさにその音楽体験はのちに私のピアノに大きく反映してくれるのですが、今日はかつて「バッハ弾き」と言われていたアンンドラーシュ・シフがベートーヴェン作品全曲演奏に着手し、その感想を書いてみたいと思います。本当にあくまでも「感想」にとどまってしまうのですが…。

また、断っておきたいのは、私はシフを生演奏で聴いたことがありません。ですが、彼の弾いたソナタ、30番、31番、32番のコンサートの様子をNHKで放送されていたので、前回の「芸術体験」の話と合わせると説得力に欠けてしまうかもしれませんがご了承ください。

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私は特に、31番のソナタが素晴らしいと感じました。


Beethoven Piano Sonata No. 31 in A-flat major, Op. 110

レクチャー付きのモノしか、公式にありませんでした。一応貼っておきます。

特に第三楽章のレチタティーヴォのような冒頭から、フーガを経て、最終的には天の高みを目指すような音楽。それをシフは本当に音楽の喜びをベートーヴェンと共に、心から祝福するかのごとくに演奏していました。その演奏の様子は今でも私の手元には残っています。

CDでも販売されていますので、購入しました(大学院入試の時、この曲を弾いたので!)。でも個人的には、そのコンサートの時の方が、作品と演奏者の精神性が融合されていたと感じさせる演奏でした。

 作品についての詳細は後日。

私はアシュケナージの演奏も本当に好きなのですが、シフの31番ソナタには心を打たれました。

今日は聴いていただきたい曲の紹介でした。ピアノばかりではなく、またクラシックばかりでなくてもいいんだよな~なんて思ったりして、まずは軌道に乗ってコンスタントに更新していきたいと思っています。

それでは本日はこの辺で。

「芸術体験」のはなし

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最近、音楽系の多くの学校で出題される傾向に有る小論文テーマには「現代社会における芸術音楽の意義」や「文化芸術の中での音楽存在の意義」などがみられます。この「現代」を象徴するからなのでしょうか?学生(生徒)が書いてくるものには「インターネット」というワードがよく見られるのです。もちろん、インターネットの普及において、音楽配信サイトや無料動画サイトが誕生したことは、音楽文化にとって非常に有意義なことでもありました。しかし有益なことばかりでしょうか?

私はやはり芸術というのは、生の、リアルな体験を持って初めてその良さを感得できるものだと思うのです。いくら素晴らしいとされている演奏のCDを聴いても(配信サイトも同様)、素晴らしい絵画を教科書や写真集で見ても、本物には勝てない。その基本的な芸術体験を忘れないで欲しいと思うのです。

このブログのタイトルの際にも少し書きましたが、やはり私にとっての専門領域、つまり仕事にしても研究テーマ設定にしても、まずは「音楽ありき」で出発しないと、視点がずれてしまうのは、学部時代の基盤が元になっているからだと考えられます。

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そして、「音楽」が基盤と言い切れる(随分、偉そうですが…)には、演奏体験をしている。加えて、自分が実践しているからなのです。演奏体験をし、分析をし、理論を学習しているものが、私の場合は音楽。だからこそ様々なことに行かせることの基盤として、さまざまなことに応用できるのです(していきたい、という気持ちも込めて)。

もし、今指導している高校生が無事に志望大学に進学し、2、3年経って「大学院に行きたいな」と思った時に、本当の基盤づくりができている状態でいて欲しい。もちろん、大学で教育を受けるわけですから、もちろん今より知識も体験も増えていることでしょう。その基盤づくりの準備段階である受験期である今の時だからこそ、多角的な視点から音楽と文化のつながりを考えて欲しいと思うのです。

「リアルを体験する。」

これがなくては音楽・美術・文芸といった文化を語ることは難儀だと思うのです。

私も実はYouTubeをよく閲覧します。もちろん、世界のさまざまな演奏、また行ってないライブの「ライブ感」を少しは体感できますが、やはり、違う。

話がだいぶ逸れてしまいましたが、冒頭に書いた「現代社会における音楽の意義」の本質を問うなら、やはり芸術体験の場を増やしていくことが大切だと考えます。

前回同様、当たり前の差し支えない、もしくは誤った記述もあるかもしれませんが、しばらくはこのブログが潤滑に進んでいくことを目標にコツコツ書いてみようと思っています。

それではまた。

音楽史を概観していく。

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初めての記事にも書きましたが、大学受験のための小論文指導もしています。なかには、文学部などに配属している「比較芸術」や音楽の分野を推薦試験で受験する際に、出題される傾向があります。

本日はそんな、もともと音楽の専門教育を受けていたわけではないけど、音楽系の小論文を書くことが課せられた場合に、読んでおきたい文献をあげてみようと思います。

音楽全般、西洋もアジアの音楽も踏まえておきたいときはまずこの一冊を読んでおきたいですね。 

増補改訂版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで

増補改訂版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで

 

 しかし、過去問などから「西洋音楽史」に特化されている場合はこちらをぜひとも読んでおきましょう(上記の場合も読んでおいたほうがいいと思うくらい必須ですね)

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

 

 大学入試においての小論文は何か専門性を問われるというよりは、広範囲にわたって理解をしていくことが大切です。また音楽と社会・文化とのつながりが問われることが多いです。もちろん、それぞれの時代や分野に特化した文献を読む時間があればいいのですが、高校生で進路を決め始めるのは1年生の終わりか、2年生くらい。そこから専門教育を受けていた人が同じ進路をたどったとしたら、なかなか方を並べるには、策が必要ですよね。そのために上述の2冊はとても簡潔に、重要なことが書いてあります。

これらを読んでから、それぞれのテーマに即したものを読めるといいですね。

とても簡潔な解説になってしまいましたが、まずは音楽史を概観できるものをご紹介させていただきました。

のちには書き方などにも触れていきたいと思います。それではまた。

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