音楽からはじまる。

聴いておきたい音楽・読んでおきたい文献メモ。

発言するための理解力と教育の必要性。

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どうも。こんにちは…。普段は0~最高でも78PVくらいであるこのブログが、昨日には3800PVを超えるという、はたから見れば大したことない?でも私にとっては驚きの一日でした。うっかりしたことは書けませんね。くわばら、くわばら!うっかりしたけど一応貼っておきます。

ll1405ll.hatenablog.com

昨日の話はちょっと本来のテーマからかなり逸れたところでコメント欄にて論議されてしまったので「こりゃまいった!」でしたが、私の詰めの甘さもありました。本来はこのブログは芸術論をまとめるためのアウトプットツールとして使おうと思ったのに(そちらも甘いの承知ですが、夏からは頑張りますよ!)、少し逸れたことをすると痛い目に合う。まさに自分が書いていたことが、そのまま降りかかってきた、という現象も少々起きました(^^;

でも多くの方は、たくさんのRTをしてくれたり、「いいね」をTwitter上でしてくださったおかげで、うれしかったこともあります。オリラジファン優しいな。そして中田氏自身がツイートしてくれたのに、私の記事のせいで攻撃されていたのを見て、なんだか申し訳ないような気持ちと「芸能人て大変だな」と思いました。強靭なメンタルも必要なんですね。すごいな。

本当なら、昨日のブログが独り歩きしても、しばらく放っておこうかなと思っていました。なぜなら単に仕事が忙しいから。でもなんであのテーマを書いたのか?というのには、ちょっとした考えと自分を鼓舞するためという理由があったのです。

私はずっと演奏のほうで音楽をしてきましたが、修士受験からは研究論文を音楽学・教育学の視点から書くようになりました。それは以前【大人大学院】という微妙な連載で書いた通りです。そして、大学になんとか採用していただき、博論を今度は書かなくては!書きたい!と思うのです。そして私は自分の恩師にいつも、「自分の立ち位置」の確認と「論じるための後ろ盾(論拠)をしっかり持つこと」を言われています(研究計画書、早く書かなくては!!)。

私は修士号を教育学で取得しているため、昨日の上記記事でいえば、中田敦彦氏の受けてきた教育は、仕事の中にも非常にうまく反映されており、自分の勝負できることの視点が間違っていないこと。要するに私の先生のおっしゃる「自分の立ち位置」をちゃんと理解していると思ったから書いたのです。彼のことを「生意気だ」とおっしゃる方もいるでしょうが、どの世界にも優秀だと揶揄されることは避けられないこともあるようですしね(音高卒の私は「バカ」とレッテルを貼られていたので、体験したことないですが笑)。

ちょっとピアノの本番や、大学の講義・授業のこともあり、本当に書きたいことが書けなくて悲しいですが、時間はたってもこれはいつかちゃんと書きたいのです!

www4.nhk.or.jp

ピース又吉さんが出ている経済学の番組。Eテレ「オイコノミア」。私は経済学に関しては全くの門外漢なのですが、とても考えさせられるし、おもしろい!そして「もしも「マタヨシ国」が生まれたら”教育を考える編”については、もうこれぞ!ということを論議してくれたので、いつか書きたいなと思っています。そして又吉さんの思考する視野の広さにはいつも唸らせられます。さすが、芸人であり作家だなと思わされます。

そう、昨日の話は教育の必要性を含めていたのです(本当はこちらが主軸だったのに…うまく伝わってない私の文章がいけないのね…)。また書くときは、しっかり構成できるように、理解・解釈を深めておきたいと思います!

それでは、おつかれさまでした(疲れた~)。

【ワイドナショーにおける松本氏から見えるもの】基礎力の問題点

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このブログは音楽を基軸に芸術分野にまで自分自身の視野を広げるために立ち上げたブログでしたが、今日は気になることがあったのでちょっと逸れた話を書こうと思います。

また先に述べておきますが、私には特に思想があるでもないので、ただ感じたことを書くまでです。その旨、ご承知おきください。

私の息抜きはテレビのお笑い番組を見ること。基本的には芸人さんを尊敬しているし、自由な発想力と対応力にはかなりの才能がいる職業だと思っています。

しかしつい先日、こんなことがありました。

lineblog.me

茂木氏の「日本のお笑いはオワコン」のつぶやきについて、松本氏お得意の笑いで何とかしよう的にまとめた回がワイドナショーでありました(って、笑いになっていたか?まとめ切れていたのか?については疑問が残りますが)。そしてその後に上記にのブログが公開されました。私はオリラジも好きだし「きっと、あっちゃん(中田敦彦氏)は論破できる自信があるんだな~」と思っていました。実際、松本氏と話したとしても、論破できる力を持っているのは正直、彼だと思いますし。その後、以下のような記事が出ました。

news.livedoor.com

これについて、オリラジファンの中でTwitter論議。話はそれますが、オリラジファンってやはり彼らの学歴に比例しているのでしょうか?論議するのが好きだし、結構、的を得ていました。私のTwitterでも別アカウントでおこなわれていたので詳細は差し控えますが、彼ら彼女らの結論は「何らかの形で松本氏が吉本関係者に「あれはないんちゃうか~」くらいでも、発言がなければこんなことにはならない」といった意見が多かったようです。

その時までは、私も「お笑い界も年功序列っぽくて大変だね」ぐらいにしか思っていませんでした(のんき)。

そして私が問題視しているのは、次の話。同番組においての松本人志氏の発言です。

news.nifty.com

これには、昔からのファンである私も共感できなかった、というよりは、この話から松本氏は広い視点でものを捉えることができない人だと思いました。自分が思ったから、言う。これで思考回路が止まっている。

少し話がそれますが、かつてダウンタウンは「松本は天才。浜田はただの人」と言われ、浜ちゃんが死ぬほど努力して今のダウンタウンになった、とよく言われています。彼は確かに「ひらめき力」みたいなものは唸るところがある。笑いの松本にコミュニケーション力の浜田。こうしてダウンタウンができたのだ、とも言われています。すごい相互作用だと思います。

閑話休題

しかし、少なくともこの「ワイドナショー」は時事ネタを扱った番組ですし、その中に笑いのエッセンスが含まれているからこそ、見ていて楽しいはずの番組ではないかと思うのです。基本的には時事ネタ(芸能ニュースも含め)を取り上げているのだから、そのニュースに関する基本的な知識をしっかりと理解したうえで、発言しなくてはならない。その理解ができたうえでさらに笑いを上乗せする、という本来であればかなり難儀な番組であると思うのです。

私は上記記事による「未然に防ぐことが(冤罪であっても)プラスになる」というのは、あまりにも雑な発言だと思いました。すこぶるひらめきと笑いのセンスでここまで芸能界で過ごせてこれたことは素晴らしいけれど、何かにつけて周囲が何も言及しないのではないかなと思わされてしまいました。だから裸の王様状態なのではないかな、と思うのです。これは私の勝手な想像までですが、松本氏は「時事ネタだって、俺には話す能力はあるし、笑いに転換する能力もある」と思い込んでしまっているのではないか?と思うのです。これは「知らない」という恐ろしさだと思います。

学歴だけがすべてではないことは承知しています。でも、中田氏の発言には基礎がある。そして考える基礎力がある。それが正しいか否か、好きかどうかは別ですが、ちゃんと物事を捉えて述べる力が備わっている。それに対して松本氏に関しては考える基礎力がない。その力がないから、感じたこと、上澄みの情報だけで本質に迫る力が弱いのだと思いました。だからこういわれてしまうのです。

私は津田氏賛成派!とかでもないのですが、これは本当にその通りだと思います。

お笑い芸人が時事ネタを扱うな!と言っているのではないのです。その番組を受けたなら、ちゃんと勉強すること。しっかり理解して、それを消化させ、専門家の意見を視野広く聞くことができる姿勢が大切だと思うのです。本来の意見は専門家でも大変ですから、専門的見地からものを述べよ!といっているのでもない。でもあまりにも固執した視野しかもてない、わたしのかつての「お笑い界のヒーロー」は、もてはやされてしまったからこそ、のぼせ上ってしまったかと思うと少し寂しい気もしました。という話でした。

だって、若いころ揶揄されていた方の浜ちゃんはこうしたネタには触れないでしょ。ちゃんと自分の立ち位置、わかってるからね。

私も初心忘れずに、立ち位置を踏まえて研究に踏み切りたいと思います。それでは。

森山直太朗と秦基博にみた、音楽の早期教育の必要性

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今日のテーマは私にとっては耳の痛い話でもあるのですが、音楽の早期教育の話を書こうと思います。

早期教育の必要性

音楽教育家である、コダーイ、ダルクローズ、オルフらは揃って「幼少期からの音楽教育が必要である」と述べています。確かに日本でも桐朋学園子どものための音楽教室を始め、鈴木メソッドなども幼少期からのカリキュラムが組まれています。でも、親御さんからすれば、「将来、本当に音楽で生計が立てられるのだろうか?」「どのくらいの才能があるのか?」なんてことはその時期にはわからず、たとえ、ある程度の力が備わっていたとしても本人が音楽を専門的に学びたくない、と言い出す可能性もあるわけです。そして最近は不景気であることも手伝ってか、幼少から音楽の専門教育を受けている子どもたちが少ないように思えます。

現在の音大進学の現状

私は今、高校と音楽教室ソルフェージュクラスを担当しています。どちらも音大進学者のためのクラスです。そこで最近多いのが、「進路を考え始めてから音大に行きたくなった」という子たちです。実は私もそうした経緯で今に至るので人のことは言えたものではないのですが、経験を踏まえて言うと、「突然音楽の世界に入る」というのはなかなか大変です。はじめは「がんばるぞ!」と意気込んでいますが、次第に音楽体験が少ないことが壁となってきます。

専攻実技は、何より専門教育を受けていないため、受験のために付け焼き刃的に受験課題曲を仕上げることになります。そうなると、もし合格できても入学後の課題もすべて「演奏する身体」になっていないのでとても苦戦している姿も目にします。

ソルフェージュでは、音感、調性感が身についていないとお手上げです。中には専門教育ではなくても、音感がある子もいるので(有名な曲のコピーとコード付けができるよ!なんていう子は音は取れる)、そうした場合にはなんとか受験のためのGOサインを出しますが、音も取れない、演奏する身体にもなっていない、となると、ちょっと難しいかなと思うのです。

音楽学なら…?と思う方もいるでしょう。音楽の知識を蓄え、論じられればいいのです。しかし、中には「音楽が好き」くらいの気持ちだと音楽文化がどのように誕生し、発達・発展していったのか?ということに目を向けることがなかなか難しかったりします。例えば英文で「compose」と出てきたとき「構成する」と訳すべきか、「作曲した」と訳すべきかの判断が文章の前後から読み取れないといけない。つまり音楽に関する知識の土台をしっかり作っておかなくてはいけないのです。また、学部入試であれば実技試験が課されますので、上記のことも必要となります(音楽学部に限る)。

この記事を書いたきっかけ

昨年末、某音楽番組で森山直太朗秦基博がコラボレーションしていました。私はどちらの歌手も好きなので楽しみにして聞いていました。しかし、交互に歌うことで、森山直太朗早期教育の力が露呈されます。

歌い始めた瞬間から、フレーズの作り方が自然と身についている。そんな風に感じました。秦基博だって曲は素晴らしいし、調子が良ければ歌も上手い。でも森山直太朗のフレーズ、音楽の運ばせ方、それにはまさに幼少期から音楽にあふれた世界で過ごして来た人なのだな、と思わされました。

昔なら、専門教育を受けている子が音大受験することが当たり前でした。しかし。様々な学科、専攻ができて、間口が広がったこともあります。また音大自体の経済状況も影響しています。ただ私たちは卒業後も「音大に行ってよかった」と思ってもらえるような、進路指導が求められてられていますし、音楽を演奏する基礎教育の大切さを提唱し、本当に素晴らしい演奏を聞き分ける力を身につける必要性が求められているといえます。

「オペラを鑑賞する文化」は根付かないのか?

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本日は、オペラの話

このテーマを取り上げたきっかけ

私は高校生の頃から声楽の友人が多かったので、よく伴奏を頼まれました。今でも当日弾いた作品も大好きなものが多いですし、バロックオペラからヴェリズモ*1、そして近現代のものまで、とても興味があります。

ただ、視野というのは本当に狭くて、声楽の友人に囲まれていると「音楽やっている人はオペラが好き」と思い込んで過ごしてきました。それは結構、最近までの話。私は頭を撃ち抜かれたかの如く、院生時代にその「音楽やってる人はオペラが好き」という、根拠のない考え方が大きく覆されます。音楽専攻の学生でも「オペラ嫌い」の人がかなり多い。では、それはどうしてなのだろうか?と考えてみました。

岡田暁生氏は、「馴染めない人のための注釈」として「浪費性」「儀礼性」「予定調和性」の三つの項目に分けて言及しています。*2

結局のところ、バロックオペラの時代から宮廷における催しものとして、「贅沢」「豪華絢爛さ」みたいなものが主軸となっていて、貴族たちからブルジョワジーたちが劇場に足を運ぶことになっても「社交場」としての役割が多く、音楽や舞台・演技を楽しむ、ましてや芸術性を感じとるといったものまで到達していなかったということが挙げられています。確かに分かりやすい例で言えば、ヘンデルの「Ombra mai fú」は今でも有名で、コンサートピースとしては演奏される機会がありますが、オペラ「セルセ」として上演されることは、ほとんど、というより、全くと言ってもいいほどありません。


Ombra Mai Fu Cécilia Bartoli

実際にオペラを鑑賞させると…

現在、私は講義でオペラについて取り上げることが多いのですが、生徒や学生が「なぜ映画を見るように、内容にしか興味が出づらいのか?」ということをいつも思っていました。それが上述したようなバロックオペラではなく、ヴェルディ作品やビゼーカルメン」でさえも。なのでいつも出てくる感想は「なんで同じ歌詞ばっかり繰り返すのだろうか?」ということ。それはオペラ(音楽)だからであるし、演出もつくでしょ…云々…という説明をしても納得いかない様子。実はそこに含みがあり、楽しみの一つであるのに、それを感じとることができない。つまりは音楽作品の一つであるオペラを鑑賞しているのではなくて、ストーリー性を持ったものを鑑賞しているに過ぎず、そこにたまたま音楽が付いていた、という感覚が鑑賞者から拭えない限り、この問題は解決できないのだなと思いました。

魔笛」からみた”体験が鑑賞を深める”という仮説

今、「魔笛」を研究対象にしていますが、やはりモーツァルトだと思わされることが何度もあります。話としては「寓話」なのだけど、そこに対する登場人物への音楽表現とキャラクター性の一致には素晴らしいものがあります。こんなこと、私が改めて書くまでもありませんが、書いてしまいました。魔笛の中で「ストーリーのつじつまを合わせよう」なんて思ったら、現代では特に「?」だらけでしょう。しかしそこに持つ音楽に焦点を当てたら、独唱曲だけでなく、重唱、合唱の効果も強く持ち合わせています。

なので小学校で見るオペラの中では「魔笛」が多いようですが(きっと教科書にリコーダーで「なんてきれいな鈴の音」を吹くようになっているからかもしれません?)あまり子どもだと、あのオペラを見ても「面白い人がいた」くらいの印象しか残らないかと思います。


Mozart The Magic Flute 6 Das klinget so herrlich Monostatos dancing

(2分くらいから観てください)

でも、そうした体験が必要なのではないかな…と思うのです。なぜ、そうなのか?

冒頭に書いたように、私はオペラの曲を多く伴奏してきました。オペラ全幕も何度も伴奏経験をしてきました。なのでオペラの魅力に取り憑かれたのだと思います。

オペラはもしかしたら「体験したからこそ魅力を感じられる」代表格かもしれません。音楽体験では、一部分でもいいから、自分が演奏に参加すれば楽しさを感じられる。リコーダー演奏でも、少し歌うのも、ピアノ伴奏でもいい。オーケストラに乗れたら最高。演出、大道具、小道具、衣装、照明、プロンプター…稽古に参加した人たち、携わった人たちは、自分たちで作り上げる喜びを、おそらくどの角度からも感じられるものなのだと思います。だからもしかしたら、小学校でのリコーダー演奏が、魔笛の鑑賞に生きてくるのかもしれません。断片でしかありませんが、そうした積み重ねの体験が、大規模な音楽作品、オペラに馴染む近道なのではないかと思うようになりました。

魔笛については思うところがたくさんあるのですが、長文になったので、また後日改めて。

*1:「真実主義」といわれるジャンル。プッチーニを始め、レオンカヴァッロ「道化師」マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」などの作品を示す

*2:岡田暁生(2001)『オペラの運命』pp.21-39.

【大人大学院受験⑤】受験勉強と仕事の両立

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大人大学院シリーズも最終回。最終回にして大きなミスに気がついてしまいました。「音楽で大学院受験」ということを基軸として書きたかったのに、「小論文を書いたことない人」「英語が苦手な人」ということに視点が置かれてしまっていました。まずはその点から確認していきましょう。

音楽領域での受験

私は論述試験を「専攻試験」とする受験をしましたが、とても簡易なものではありますが、実技試験もありました。やはり私は元々、音楽畑で青春期を過ごした人間なのだな、ということも実感しました。ずっと机に向かっているとやはり集中力が続かない。でも受験勉強をサボっているようで、休みたくはない。そんな時にピアノの練習をすれば、サボっている気持ちにもならないし、音が鳴ることでリフレッシュすることもできます。

また、これまで演奏での受験には明言を避けてきましたが、修士課程の場合では演奏すること自体が研究となり、学校によって名称は異なりますが「学位審査会」*1においての演奏が修了時におこなわれ、こちらが「主論文」という扱いになります(副論文を提出する場合が多い)。そうしたことからも演奏領域では受験時も基準として一番重要なのは演奏力となるのは、言うまでもありません。

仕事との両立

本日の本題に参りましょう。近年「社会人入学枠」の制度を利用して入学できれば、2年間は大学院で研究に没頭することも可能です。私は非常勤講師でしたので、制度を利用する条件も満たせず、進学後も仕事をしながら通学していました。しかしどちらにも共通していえるのは「受験時は仕事をしながら勉強する」ということです。私はこれで仕事を終わらせるスピードがかなり上がりました。ポイントは「できるだけ、受験準備の時間を作ること」です。電車の中でEvernoteに保存した論文を読み、帰ってきてから、次の日の授業の準備をさっさと済ませて、すぐに英語(単語・構文・文法に加えて、長文読解)をおこないます。食事を済ませたら、小論文の直しや、新しいテーマで書いてみるなど。確かにコンビニ食が増え、睡眠時間が削られますが、なんとかやっていけます。行きたい気持ちがあれば大丈夫だとおもいます。

学費の工面

現役の学生なら、両親に出してもらうことも可能。もしくは奨学金を借りて進学もできます。しかし、年齢がある程度いってしまうと「奨学金通過」が難しい(らしい)。「らしい」と書いたのは私の先生に言われたからなので確信ではありませんが、よって私は国の教育ローン→教育一般貸付(国の教育ローン)|日本政策金融公庫を利用しました。

あとは、入学金・授業料免除申請も提出しました。通るかどうかはその方の年収や生活スタイルによって変わるので、まずは申請してみるといいと思います。

合格したら

私は現役の子たちと仲良くしてもらいました(笑)。学会にも一緒に行きましたし、普段の飲み会なども結構、顔を出しました。こうして大学院生活をある程度の大人になってするのも悪くないな、と思います。しかも私の場合は仕事を辞めないで通ったので、修了後を心配することなく、論文執筆に着手できたのは何よりも助かりました。みんなは就活もしていましたから…。

ただ、働きながらの就学では「取りたい授業が履修できない」というデメリットがあります。仕事の曜日・時間に取りたかったのに取れなかった授業はかなり多かったです(涙)。でもあとは自分で勉強し、研究に生かせばいいのですね。また、可能であればその科目を担当されている先生にお願いして、ちょっと研究室にお邪魔させていただいてご意見やご指導をいただくなんてことも可能かもしれません。とにかく自分の研究を遂行し、論文を執筆すること。それは社会に戻ってもかなり役立ちます。

さいごに

 乱雑になってしまいましたが、とにかく私が体験した大学院受験を振り返ってみました。音楽での進学は本当に情報を集めるのが大変でしたが、それに一役買う…までいかなかったのが残念ではありますが、受験に特化した記事はこれにて終了。これから書くテーマの中で、音楽や芸術に関連したさまざまなことを伝えていけたらいいなと思っております。

*1:学校によって名称は異なる

【大人大学院受験④】研究計画書と志望理由書

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この【大人大学院受験】シリーズも4回目となりますが、前回の記事の最後に書きましたとおり、音楽系の分野での大学院受験を対象にしていますが、演奏で分野での受験は異なる点が多いので、音楽学・理論系での進学を対象にしています。ご了承ください。

前回は英語対策を書きました。

ll1405ll.hatenablog.com

さて、今回は「研究計画書」「志望理由書」の書き方です。しかし、これは専門分野によって研究法はもちろん、書き方も違った点が多いと思いますが、できるだけ共通になることを念頭に入れて書いてみようと思います。

研究計画書について

これは、まず「研究したいこと」がなければ成立しません。実は私、最初は「研究」というものがあまりよくわかっていませんでした。医学とか理工学とかの人のためだけにあるものだと思っていました(低レベルな話ですいません…)。

ただ、音楽でいえば、作品研究、作曲者と作品、演奏法の身体、基礎力を身に付けるためのメソッド研究…その他にも音楽団体の運営や音楽と文化、環境と音楽、音楽の価値等々…。他の研究領域から応用して音楽研究に生かすこともありますね(例えば、ジェンダー研究、ポストコロニアル研究、そして記号論など(私は記号論を応用しました)。しかし、これは研究方法・目的によって異なりますし、これ以上は自身のオリジナリティも必要です。ただ共通していえることは「知りたい!」「ずっと気になっていたこと」それを様々な概念、方法をもって結論を導こう!というわけです。その結論を導くためのプロセスをどうするか?ということを計画として書くのが研究計画書です。

志望理由書(研究室訪問のことも少し)

少し、研究計画書と重なる部分もありました。しかし、ここは「大人大学院受験」。自分がこれまでに携わってきた仕事、フィールドを存分に生かせることは、一番の近道だと思います(別分野の方もいますが)。例えば「わらべうただけを歌う合唱団*1」があるとして、そこでおこなわれる音楽教育について研究したいのに、そうした合唱団とコンタクトが取れるのか?もしくは合唱団はどこにあるのか?はたまたそうした合唱団が日本にあるのか?なんていうことも調査しておく必要があります。そこに関連して「〇〇を研究するためのバックグラウンドがある。だからここの大学院での研究が必要だった。」ということを書くのです。そのためにはそのプロパーである指導教官がいる大学院を志望することがベスト。いくら英語や小論文で合格点が取れたとしても、研究テーマについて導いてくれる指導教官がいなくては不合格となってしまいます。これを確認する作業が俗にいう「研究室訪問」というものですね。大学の公式HPなどに先生方の専門領域やこれまでの研究論文、著書などが記載されていますから、それらを読んでつきたい先生を探してコンタクトをと取りましょう。また、最近は「大学院説明会*2」などで指導教官となってほしい先生と直接お話させていただいて、そのあと訪問することができたりするので、おそらく昔よりは少し気持ちが楽だと思います。しかし「研究室訪問」の時もしっかり研究についての概要を整理してから伺うほうがいいでしょう。

書きかた

これはもうネットで検索したら、大学院に進学した人などがブログなどで山ほど書いています(まさに今の私状態ですが)。もう「これでもか!」ってくらいにたくさん出てきます。しかし、自分の研究したいこと。研究方法がしっかりできる土台を自分が持っている。それが整理して書かれていれば大丈夫です。多くの情報に振り回されてしまうのは、研究者の素養としてもいいことではありません。なかには「ですます調で書くのですか?」なんていう質問とかもあったりするサイトがありましたが、どちらでもしっかり書けていれば大丈夫だと思います。ちなみに社会人での受験だったからでしょうか?私はなぜか「ですます調」で書きました。体言止めでもいいですよ、たぶん。

最後に

ぼやけた書き方だな、と思われた方もいらっしゃるかと思いますが、これだけは分野、領域ごとに変わるので何とも書きようがありません。ただ、研究室訪問や書きかたに書いたような内容は、ネットの情報に踊らされないようにしてください。私は結構、実際とは違ったことが多かったので、研究室訪問に関しても、遠回りしてしまった経験もしました。もしかしたらこれが音楽、という領域だったからかもしれません。ほとんどが、文学か理工系、などのサイトが多いですから。

受験の時は時間を大事にしたいですからね。これだけはどんな分野も共通ですね。しっかりした情報を手に入れる。これが一番のポイントかも知れません。

次回を一応、最終回にしようと思います。「受験勉強と仕事との両立について」です。

*1:本当にあるかはわかりません。参考までに書いた例です

*2:中には研究室訪問をおこなっていない大学院もあります。

【大人大学院受験③】英語ができない人の英語試験対策

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それでは【大人大学院】シリーズ、英語編です。

ll1405ll.hatenablog.com

長い間、英語は全く読まずに楽譜ばかり読んでいた人が、大学院の外国語試験の英文を読むことはできるのでしょうか?なのであえてタイトルは「英語ができない人」としました。およそ、私大音大の偏差値は40台後半から50台前半。私の受験する大学院は、学部偏差値ではありますが、64の大学。今思えば私ほどの英語力で、よく図々しくも大学院を受けたものだと我ながら思っています。でも私大音大の大学院の学費をを払うのは不可能なので、国公立を選択するしかなかったのです。勉強はがむしゃらにやればできるけど、お金はがむしゃらだけでは急に増えたりしないですからね。余談でした。それでは本題へ。

はじめて英語の過去問に取り組む

世にいう「チンプンカンプン」というのはこの状態をいうのだな、というくらいに過去問を見て卒倒しました。ほぼ、知っている単語がない(年齢的に忘れていた、というのもあるでしょうが…)。でも作曲家名や曲名は一応わかるので、おおよそ何を書いているのかわかる(もちろんわからないこともある)。そんな中、訳を持って行ったので先生には「即、構文を覚えましょう。でも英文法は全部自分でやってね」と優しい口調のようでいて、結構厳しいことを言われました。構文?…なんだろな。こんな人、本当に受かるのかな?と思ったそこのあなた。とにかくがむしゃらだけが取り柄の対策法をご紹介。

まずは構文集を選ぶ

私は、本屋さんに行ってこちらを選びました。

各セクションに1~5文くらいが載っているのでまずは暗記…と行きたいところですが、掲載されている文章を丸暗記しても仕方ありません。ここはそれぞれの文章の解説が掲載されているので、一文ずつ、理解しながら覚える。私はノートの方ページを3分割にして、その一文を真ん中に書き、解説を確認しながら書き込む。そしてわからないところは文法書で確認。文法書については後述します。

そしてこの構文集が理解出来たら、王道ですね。こちら。

しかし、「ポレポレ」は結構難しいので直前にやっと読めるようになりました。

実は先生から「構文覚えたら過去問だけ!」といわれていたのですが、心配性な私はこちらの演習問題を毎日1ページずつしていました。

解説もあり点数の基準などもあって目標にしやすいです。でも、音楽タームが入った文章がないので本当であれば先生のおっしゃるように、過去問か音楽関連の英語文献の方がいいですね。これは反省点です。(でもこの問題集はいいです。院試なら本来、英文和訳演習 (上級篇) (駿台受験シリーズ)の方が、英語文献に近い形のレベルだそうです)

構文集活用法

和訳できるようになるためには英作文をすべし。これは本当です。最初は手も足も出なかった私も以下の方法で、なんとか英作文ができるようになりました。毎日、構文集の日本語版をWordで作ったものを印刷し、それを英文にしていました。もちろん短文なのですが、案外はじめは難しい…。しかしこれが効果を生んだため、私は英作文用の参考書は買っていません。入試には英作文が出題されましたが、大丈夫です。そう。本当に大丈夫!

参考書や文法書の選び方

私は高校の時に教科書しか使わない高校(音高)だったので、何がよく使われている参考書なのかさえ知りませんでした。しかも卒業してから結構年月は経っています。なのでアマゾンのレビューや「英文和訳 参考書 おすすめ」などで検索をかけて探しました。しかし一番いいのは、よく言われていることではありますが、本屋さんに行ってみて実際に中身を見て「自分が取り組みやすそうなもの」を選ぶことです。上記の3冊もまさにそれ。ちなみに文法書は大学院入学後にはロイヤル英文法―徹底例解を買いましたが、受験期ははじめから難しいものは合ってないと思ったので、「基礎からの」という言葉にひかれてこちらを購入しました(笑)。「院試には足りない」と評価される方もいらっしゃいますが、私はここから始めました。

最後に

なんだか「英語参考書シリーズ」みたいになってしまいましたが、院試は小論文と同様、何より過去問を解くことが一番です。余裕であれば自分の専攻分野の英文を読むのもいいと思います。それは受験とは少し離れるので後日、「読んでおきたい音楽系英語文献」として、改めてまとめていきたいです。

本当はもっと書きたいことがあったのですが、何よりも大事なのは

過去問を解くこと

先生に言われたことは(自分では、?と思っても)必ず実行すること

のふたつです。

私ほど英語ができないくせに院試に臨む人も少ないかもしれないので、あまり参考にはなからなかったかもしれませんが、もし英語でとても困っている大学院受験生の方がいらしたとして、そうした方々のための参考に、少しでもなれば…と思って書きました。

次回は「研究計画書と志望理由書」について書こうと思います。

追記:音楽系とはいえ、演奏分野での受験を対象としていません。音楽学系を目指す方のために書いています。

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